高天神城跡に出没したと伝えられる伝説の白キツネ、尾白狐。
この頃は天守のような高層で瓦葺き(かわらぶき)の建物はまだなかったんだよ。また、石垣もなかったんだよ。
落城した後、建物は取り壊されたんだ。それから400年が過ぎ、くずれたり埋まったり木や草が生え、今は山のようになっているんだ。
江戸時代という長い時代を作った人。でも当時の家康の領土はまだ小さく、となりの国の武田軍にやられっぱなしだった。
山の上に造られた城は崖や堀・土塁(どるい)・塀(へい)などで守られ、せめるのも難しいぞ!
「高天神城を制する者は
遠江(とおとうみ・静岡県西部)を制す」
と言われた高天神城では戦いがくり返された。
高天神城で行われた激しい戦いの合間には、
いろいろなエピソードがうまれたよ。
武田軍によって高天神城が落城した際、ひとり降伏を拒否した大河内政局(おおこうちまさもと・まさちか)は、横穴の牢屋にとじ込められた。狭い牢屋になんと1574年から1581年の7年間もとじ込められ、ようやく救出されたときは疲れ果て、歩くこともできなかったと言われる。家康が温泉で休むように伝えたよ。
家康に取り囲まれた高天神城。その様子を甲斐国(かいのくに・山梨県)の武田勝頼に報告する使命を受けたのが、横田甚五郎(よこたじんごろう)。ふつうの人は、歩けないような山道を利用してなんとか城から脱出。報告に成功したといわれている。現在そのルートは「犬戻り猿戻り」と呼ばれる険しい道として残っているよ。
城を守る準備はもちろん、遠くの仲間に手紙を送って
助けに来てもらうことも多かった。
いきなりせめるのではなく、被害が少なくなるように、
戦いの前にいろいろな準備と工夫をこらすよ。